こんな記事を書きたくなかった

プロレスリングノアの社長にして看板選手のプロレスラー三沢光晴選手がリング上で亡くなりました。
享年46歳。天才プロレスラーのあまりにも早すぎる死でした。


彼がプロレスラーで
俺っちがプロレスファンだから、
事故だなんて書きたくない。


小さなころからプロレスが好きで、
今でも好きです。
中学のころ、新日本プロレスの三銃士、全日本の四天王と
俺っちはプロレスの内容が幸せなころを知っています。
やはり、この7人は今のプロレスを語る上で欠かせない7人だと思います。


実際、
三沢光晴選手を意識した時は、
すでに素顔でしたが、その後、色々ビデオを借りたりして、
彼の功績の一部に触れるにつけ、
「天才」と呼ばれる理由と、
その存在感に魅かれたものでした。


天龍離脱後の全日本プロレスを支えたのは
ジャンボ鶴田に向かっていくガラスのエース、三沢光晴でした。
四天王プロレスを一番体現していたのは、三沢光晴でした。
そのエルボーは数多の強敵を打ち砕き、
そのタイガードライバーは数多の戦友を作り、
その功績は昭和から平成に移行するプロレスにおいてとても大きなものだと思います。


タイガーマスクとして日本に逆上陸したときから、
彼は常に大きな相手と戦い続けました。
ジャンボ鶴田やスタン・ハンセンといったスーパーヘビー級相手に
身体の小さな次代のエースは奮戦を続け、
そして時代を作り上げました。


その代償として「ガラスのエース」と言われるほど
怪我が多かったのですが、
それを感じさせないタフさでいつもマット界を牽引していました。







受け身の天才
名試合メーカー
ミスターエルボー


もう
あの
エルボーも
タイガードライバー
エメラルドフロージョンも
フェイスロックも
エルボースイシーダ
ローリングエルボーも
ワイパーも
全部見れなくなると思うと、
万感こみあげてきて、非常につらくなります。


ただ、
三沢選手、ありがとうございました。
そして
お疲れさまでした。


天国で鶴田さんとまた名試合を繰り広げてください。
きっと、その横でジャイアント馬場さんもうれしそうに見てくれているはずです。


稀代の天才、三沢光晴
最後までプロレスラーであり続けた三沢光晴
本当に残念です。